いろは丸展示館(いろはまるてんじかん)Irohamaru Exhibition Hall

いろは丸展示館Irohamaru Exhibition Hall

▼いろは丸の海難事故を検証する展示館

江戸時代末期の1867年、備後灘で起きた坂本龍馬氏が海運業務で乗船していた蒸気船いろは丸と紀州藩の軍艦明光丸の衝突事件の概要を展示する博物館で1989年(平成元年)7月に開設されました。「鞆の浦」のシンボルともいえる常夜灯(じょうやとう)前の「常夜灯広場」にあります。

江戸期に建てられた蔵をそのまま利用していますので、太い梁など、その堂々たる造りも見どころの一つです。鞆の町では通称「大蔵(おおくら)」と呼ばれています。

▼坂本龍馬氏率いる海援隊vs紀州藩

いろは丸(いろはまる:160トン)は、江戸時代末期の1860年代にイギリスで建造され、伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が所有していた帆船型の蒸気船で坂本龍馬氏が率いる海援隊が運航していました。明光丸(めいこうまる:887トン)は、江戸時代末期に紀州藩(現在の現在の和歌山県と三重県南部)が所有していた軍艦艤装の大型蒸気船でした。

いろは丸は大阪を目指して東へ、明光丸は長崎を目指して西へ進んでいたときに海難事故が発生、時は慶応3年(1867年)の4月23日深夜とされています。

「いろは丸」と「明光丸」が、現在の笠岡市笠岡諸島の六島(むしま)付近で衝突しました。大破したいろは丸を衝突地点から一番近い港町・鞆の浦(鞆津)まで、明光丸が曳航しましたが途中の宇治島沖で沈没してしまいました。

鞆の浦の商家・魚屋萬藏(うおや まんぞう)宅(現 御舟宿いろは)と福禅寺 対潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう)で賠償の談判(交渉)談判は4日間にわたっておこなわれましたが、決着せず場所を移して長崎でも談判がおこなわれて決着し、紀州藩から海援隊側に賠償金が支払われることになりました。

「いろは丸事件」は日本最初の蒸気船同士の海難事故で、同時に日本最初の万国公法による海難審判事件とされています。


いろは丸展示館の概要データと地図

名 称:いろは丸展示館

住 所:〒720-0201 福山市鞆町鞆843-1

電 話:084-982-1681

営業時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)

定休日:年末年始(12月28日~1月1日)


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