▼坂本龍馬氏「いろは丸事件」談判の町家
魚屋萬蔵宅は幕末の「いろは丸事件」の際、坂本龍馬氏と海援隊士が宿泊した桝屋清右衛門宅と、紀州藩が宿泊した円福寺の中間にあることから、海難事件の談判をする場所に選ばれました。
現在は、江戸時代末期の町屋のたたずまいを残した旅館(御舟宿 いろは)になっています。改修時にデザインを提供したのは「崖の上のポニョ」の構想のため鞆の浦に滞在していた「宮崎駿監督」だそうです。
▼いろは丸事件とは・・・
慶応3年(1867年)4月23日深夜、坂本龍馬と海援隊士34名を乗せた「いろは丸(45馬力・160t)」は瀬戸内海を大阪に向けて航行中、現在の福山市宇冶島沖で紀州藩の軍艦「明光丸(150馬力・870t)」と衝突事故をおこしました。
いろは丸は大破し、明光丸によって鞆の浦に曳航される途中、沈没。この海難事故の賠償交渉(談判)の場となったのが、魚屋萬蔵宅(現在の御船宿いろは)だと記録に残されています。
魚屋萬蔵宅の概要データと地図
名 称:魚屋萬蔵宅(御舟宿 いろは)
住 所:〒720-0201 広島県福山市鞆町鞆670
w e b:https://www.tomo-iroha.jp/
電 話:084-982-1920(御舟宿 いろは)
営業時間:10:00~17:00
定休日:火曜日