▼いろは丸事件で龍馬が鞆の浦に・・・
1867年(慶応3年)4月23日、現在の岡山県六島付近で坂本龍馬ら海援隊が運航していた「いろは丸」と紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突し沈没したいろは丸事件。
鞆の浦に上陸した龍馬たち海援隊は廻船問屋「桝屋清右衛門宅」へ、紀州藩は「圓福寺」に宿泊し、双方の宿泊先の中間地点の旧町役宅「魚屋萬蔵宅」や「福禅寺・對潮楼」で談判を行い、最終的に龍馬たち海援隊は御三家紀州藩から賠償金を勝ち取ることができました。
龍馬と紀州藩による「いろは丸」賠償交渉の経過が記された文書「備後鞆津応接筆記」によると、宿泊したのは1867年(慶応3年)4月23日から4日間。坂本龍馬が才谷 梅太郎(さいたに うめたろう)という変名で交渉に臨んだこと、廻船問屋を営む『桝屋清右衛門(ますやせいえもん)宅』に宿泊したことなどが記されています。
これは坂本龍馬が京都で暗殺される約7ヵ月前のことです。
桝屋清右衛門宅には「いろは丸事件の際に坂本龍馬がここに泊った」という伝承がありましたが長年その場所は確認されていませんでした。
1989年、「坂本龍馬は屋根裏部屋に泊った」との言い伝えから地元の有志が天井を調査したところ、1カ所だけ天井板が外れ、当時のまま手つかずの状態で残されていた隠れ部屋を発見しました。現在は整備を行い一般公開されています。

桝屋清右衛門宅の隠れ部屋の概要データと地図
名 称:桝屋清右衛門宅(坂本龍馬の隠れ部屋)
住 所:〒720-0201 福山市鞆町鞆422番地
w e b:www.masuya-seiemontaku.com
電 話:084-982-3788
営業時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
定休日:火曜・水曜・木曜日