▼お大師さんのおる島(おだいしさんのおるしま)
島民にとって「お遍路さんがお大師様と一緒に来られる」ことを意味し、『お遍路さん=お大師さん』と古くから言い伝えられています。「幸せを呼ぶわらべ」と「お大師さんのおる島」という石像・石碑は道の駅「よしうみいきいき館」の駐車場の一角に設置されています。
瀬戸内海の島には、弘法大師由来の四国霊場を島に凝縮させた「島四国」(しましこく)というミニ四国巡礼の信仰ルートが存在します。大島の「島四国」ルートは、文化4年(西暦1807年)に島民の有志三人により開創されました。
▼幸せを呼ぶわらべ
「お大師さんのおる島」と描かれた大きな石版にくりぬいた穴があり、そこには設置された鐘があります。その足元には島四国記念碑という注意書きがあり「幸福の鐘を鳴らして、わらべの頭をなでてください。幸せを呼ぶわらべです」という説明されています。
▼大島に伝わる島四国、悲哀の歴史
大島の「島四国」ルートは、私財を使い果たすまで貢献した島の医師「毛利玄得」の呼びかけに賛同した修験者「金剛院玄空」、庄屋「池田重太」ら、三人の島民の大変な努力により文化4年(1807年)3月20日に開創されました。
本四国霊場に比べて手軽に巡拝できるため、開創と同時に多くの巡拝者を迎える事となります。そのため翌年春、文化5年 (西暦1808年) 2月15日、多くの民衆が集まることに危惧を感じた今治藩庁から玄得・重太・玄空の3名に呼び出しがかかり霊場巡拝を禁止、開創者の三人を流罪などに処します。
しかし民衆の信仰は篤く巡拝者は絶えることなく、文化7年(1810年)に当時の門跡寺院筆頭だった真言宗総本山・仁和寺(京都)から「准四国八十八ヶ所霊場」の称号と仁和寺紋章の使用が許され、晴れて自由に巡拝できるようになり、現在に至っています。
毛利玄得は天保15年 (西暦1844年) 7月11日、75才で波乱に充ちた生涯を閉じました。
玄得の辞世の句
かりの世の火宅の夢も覚めにけり 阿字の古巣に帰るこの身は
伊予大島准四国霊場会公式HPより抜粋
http://shima-shikoku.com/
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